2006年度発掘
 
 
概要
 
2006年度の調査は教会の建物の周辺部分へと移ったが、いくつかの疑問を解決するために教会内部の特定箇所も調査された。教会内部と周りの壁は全て正確にスケッチされ、記録された。建物が青銅器時代の墳墓の上あるいは中に建てられたのであろうという仮説を検証するため、建物の北側を碁盤目の半分だけ(AA3)掘ってみた。墳墓がどこまで広がっていたのか不明のままではあるが、教会の南側からも有史以前の陶器が出土したので、この仮説は正しいと思われる。
 
今年度は、キール大学のアーノ・バイヤーが発掘現場周辺地域の土壌調査を実施した。小型の掘削機を使用して岩床まで約1.5mの幅で溝を掘る。考古学者らはそこに見られるあらゆる形跡や特色について、少しの損失も無いように気を配った。現場の南側に掘られた溝には柱の跡や陶器が多く見られ、これらは教会の中で見つかった物よりも古い時代にさかのぼる。定住の痕跡が見つかったようである。年代やこの居住地域の範囲を特定するには2007年度の調査を待たねばならない。より発掘区域を広げ、秩序だった組織的な調査を実施するために溝を拡大する予定である。
 
教会の南東部に、教会と同時代であると思われる墓地の遺跡が現れた。多くの墓(左下の写真参照)が発掘された。その中には石の建物の南の壁にほぼ隣接した墓もあった。しかし残念ながら、酸性の土壌であるため、子供の歯と下顎以外の骨は残っていなかった。
 
 
 
 
 
 
当該年度の発掘は、教会の建物の周辺部分の調査まで拡大された。